変化に対応するために~企業の取り組む人材育成・育成投資における課題
1. なぜ、人材育成が重要なのか。
人材育成は一朝一夕にはできない。
みなさまの企業において、社員が一人前になるのにおよそどのくらいの時間が必要でしょうか。
英国生まれの元新聞記者、マルコム・グラッドウェル氏が提唱された、「1万時間の法則」という言葉を聞かれた方も多いと思います。大きな成功を収めるためには1万時間の練習が必要だ、というものです。
この1万時間がどのくらいの時間か考えてみると、仕事以外の時間にすると、毎日3時間×約9年2ヶ月もの時間が必要であり、平日8時間の業務時間を練習と捉えた場合には、土日を除いて約5年2ヶ月かかることになります。
よく、石の上にも3年という言葉がありますが、あらためて人を育てるには多くの時間が必要だということがお分かりになると思います。
仕事を通じた育成であるOJT(On the Job Traning)とOff-JT(Off the Job Traning)に分けた場合、今回はOff-JTに着目して人材育成を考えていきます。
人材育成は投資である。
それでは、人材育成の目的は何でしょうか。
企業を大きく成長させるために投資活動は必要不可欠です。
投資活動の対象は、経営資源である「ヒト」「モノ」「金」「情報」をどのように限られた予算を配分していくかが鍵になります。その経営資源の中で最も費用対効果が高いものが「ヒト」に対する投資(以降、人材育成という)であるとここでは考えます。
なぜなら、仮に社員研修などを通じて、一人当たり50万円の投資をしたとした場合、研修で学んだことがきっかけになり、1,000万円の利益が得られたとすると20倍の投資対効果が得られるようになるわけです。
それでは、なぜそれだけ高い投資対効果である人材育成に対する投資がおこなわれていないのでしょう。
理由として考えられることは、最も投資に対する直接的なリターンが見えづらいことが背景にあるのではないでしょうか。
例えば、「モノ」であれば、最新の生産設備を導入することで、生産効率が50%向上する。従業員が10人削減で、ほかの業務に割り振ることができる、という具合に投資とリターンが計算しやすい関係になっています。
同じように、「金」であれば、元手と金利と期間の掛け算により、いつの時点でいくら得られるか、ある程度予想がつきます。
一方、人材育成に対する投資のリターンが見えづらい背景として、研修などの育成プログラムを実行した場合に、その人がどのようなポジティブな変化をするか、個体の変動幅が大きく、成果と人材育成の因果が結びつきづらいことが、背景にあると考えられます。
人材育成が影響し成果が出たのか、もしくは外部要因により成果が出たのか、明確に因果を切り分けることは大変困難と言えます。
このように人材育成は投資対効果が見えづらい、企業の業績が悪くなれば、教育予算は早々に削減される傾向にあります。
一般的に、日本企業は人材育成に対する投資が少ないと言われています。
事実、平成30年に厚生労働省から出された「GDP(国内総生産)に占める企業の能力開発費の割合の国際比較について」から見て取れます。
アメリカやイギリスなどの国に比べて圧倒的に低い水準であり、日本はその金額自体、年々下がっています。
出所:https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/roudou/18/backdata/2-1-13.html
なぜこのようなことが起きているのでしょう。
日本企業の多くは学生を新卒で一括採用した後、全員一律で育成する仕組みが整っており、入社後も不平等感が生まれないように、全員に同じような育成プログラムを提供しようとする考えが古くから根付いています。
そして、従業員側も、育成プログラムは企業が提供してくれているものだと、捉える人が多いのが現状ではないでしょうか。
人材育成ができる会社は事業が育つ。(採用ブランディング、定着、自発的行動)
それでは、人材育成が間接的にどのような恩恵をもたらすか考えていきましょう。
この記事をご覧いただいている企業の皆様は、一人あたり年間どの程度の研修予算を投じているでしょうか。
一人当たりの研修予算が高い企業として、DMG森精機株式会社、株式会社野村総合研究所、三井物産株式会社などが挙げられています。
予算を人材育成に投資できるということは、相応の営業利益が出ているということが言えます。逆接的に言えば、人材育成ができている企業は、営業利益のリターンが得られているということが言えます。
研修予算が高い企業と低い企業を比較した場合、選考を受ける学生はどのように感じるでしょうか。おそらく、研修予算の高い企業の方が、自分自身の能力が高まりそうと魅力的に見えるのではないでしょうか。
このように、学生の観点で考えた場合に、能力開発に力を入れることで、採用のブランディングにも役立ちます。
採用のブランディングに役立つということは、他社より優秀な学生が集まり、社員同士がより自分自身を高めていこうと競争原理が働くことで、組織が活性化すると考えられます。
2. 最近の人材育成のトレンド
組織開発するためには組織の要を重点的に育てること。
ここからは、一人ひとりにアプローチする人材育成ではなく、組織開発と呼ばれる「組織にいる人と人との関係性にアプローチしようとする手法」を考えていきたいと思います。
関係性というのは目に見えないものになりますが、組織の関係性を作っている大きな要はマネジメント層だと言えます。
マネジメント層が大きな要を形成している理由として、組織の雰囲気や奨励される行動の規範を作っているのはマネジメント層だからです。
例えば、部門のルールを規定するのはマネジメント層です。
ボトムアップで意見を出し合ったとしても最終的に採択の権限を握るのはマネジメント層になります。
ですから、組織開発をするうえで大事な鍵を握るのは、繰り返しになりますがマネジメント層に対する教育が重要になります。
全体最適ではなく、個を尊重する個別最適にシフトしつつある。
それでは、人材育成はどのようなテーマに予算を振り向けられているか、考えていきましょう。
これまでは、特定の階層や役職になったときに、階層別で行う研修が比較的多く実施されてきました。事実、大手企業のなかでは、会社から一律に研修を提供する形から、社員の一人ひとりの自律的な学び・成長を支援する、という方向に舵を切っている企業もあります。
これは、一律の教育では、現場の教育ニーズを満たせない可能性ができていることが影響しています。
なぜなら、現場の教育ニーズが多様化しているか考えた場合、VUCAと呼ばれる先が見えづらい市場環境のなか、マネジメント層が必ず最適解を持っているわけではありません。いまは若手社員の方が特定領域における見識が深いことも十分に考えられます。
くわえて、いまの若手社員は新卒で入社した会社で一生働きたいと考える人が少ないという調査データもあります。
また、大学でのキャリア教育の充実や新型コロナウィルスによる雇用環境の悪化を受け、一社で長く経験することをリスクとみる風潮もあり、仕事における価値観が多様化していると言えます。
このように、企業側から見ても、従業員側から見ても、一律の教育では幅広い教育ニーズに対応しきれなくなっています。
役割認識のような概念的な教育も大事だが、DXなど事業推進に直結した育成ニーズも高まっている。
それでは、現場での教育ニーズがどのように変化してきているか考えていきましょう。
近年、「DX(Digital Transformation/デジタルトランスフォーメーション)」という言葉を多く耳にするようになったと思います。
DXとは、2004年にスウェーデンのウメオ大学のエリック・ストルターマン教授によって提唱された概念であり、その内容は「進化し続けるテクノロジーが人々の生活を豊かにしていく」というものです。
これまでもテクノロジーの進化により、人々の生活は豊かになってきたわけですが、そのスピードが格段に上がっているということがポイントになります。
このような市場環境が目まぐるしく変化する中で、これからの人材育成は不易と流行の教育内容に大きく分かれていくのではないでしょうか。
不易という面においては、組織の土台になる組織開発や階層別研修に代表される研修プログラムですが、研修の中身のコンテンツが大きく変わってくると考えられます。
具体的には、新型コロナウィルスの影響によるオンライン環境下でのマネジメントを効果的に行なっていくために、どのように部下と心理的な安全性を築けるのか、もしくは、自律的な部下を育てていくためのコーチングスキルなどが必要となります。
その他にも社会的な背景を受けて、SDGsなどの一企業だけではなく、企業が社会にどのように良い影響を及ぼしていけるのか、という視座を高めるための教育プログラムも必要になってきます。
一方、流行の側面では、DXに代表されるようなテクニカルな研修や、生産性を高めるためのプログラミング学習、またはグローバル展開を加速していくための語学教育などが挙げられます。
このような時流に乗った教育プログラムは即効性がある反面、時流にあわせて研修コンテンツを見極めなければ、時代遅れのプログラムになってしまうことがあります。
大事なことは組織開発や階層別研修などの土台の上に、流行をとらえた育成を上乗せすることにより市場環境や事業に即した最新の人材育成、スマートフォンでいえばハードとアプリを最新版に保つことができる、といえるでしょう。
3. まとめ
今回は、変化に対応するために企業の取り組む人材育成における課題について触れました。
これから人材育成をどのように組み立てていこうと思慮されていると多く伺いますが、大事なポイントは経営戦略に紐づいた人事戦略、そして人事戦略を実現するための人材育成が必要不可欠です。
人材育成は「ヒト」に対する投資なので、経営戦略に紐づいていなければ、人材育成の1手段である研修が単なるイベントになってしまう恐れがあります。
最も費用対効果が高い人材育成なのかどうか、今一度点検・見直しされてみてはいかがでしょう。