“史上初、デジタルでグローバルなミレニアル・Z世代” を考える ~視座高く物事を捉える世代
1.はじめに
近年、ミレニアル世代やZ世代、あるいはその次のα(アルファ)世代などが話題になっています。時代によって世相が変わり、その背景で育った世代ごとに価値観や行動様式が変わってくるのは当然ですが、ミレニアル世代やZ世代以降は、今までの「世代」(さとり世代や氷河期世代など)と全く異なる特徴を持っています。
本コラムでも何度も扱っているテーマではありますが、今回は最近の現象やデータなどを見ながら、新しい切り口からその特徴を考えていきましょう。
2.改めて、ミレニアル世代・Z世代とは
すでにご存知の方も多いかもしれませんが、改めてミレニアル世代やZ世代の定義について押さえておきましょう。
ミレニアル世代(Y世代)は主にアメリカで1980年代から95年頃までに生まれた世代、Z世代は95年から2010年代序盤に生まれた世代と言われています。
現在20代~30代のミレニアル世代の特徴は、「今」を重視しており楽観的で理想的、体験や経験を重視しており、「Me世代」と言われます。META(旧Facebook)創業者のマーク・ザッカーバーグがその代表で、彼はハーバード大学卒業式のスピーチに呼ばれ、以下のように話しました。
しかし「君の目的を見つけなさい」的なよくある卒業式スピーチをしたいわけではありません。
だって、僕らはミレニアル世代なんだから、そんなことは本能的にやっているはずです。
だからそうじゃなくて、今日僕が話したいことは、「自分の人生の目的を見つけるだけでは不十分だ」ということです。
ミレニアル世代は幼年期から青年期にIT革命を経験した「デジタルパイオニア」世代、インターネットやデジタルの恩恵を受け始めた世代であり、また同時に冷戦が終わり、世界がグローバル化し始めた中で育った世代でもあります。彼らは実体的にもデジタル的にも世界が一つになり、その変化を享受し始めた世代なのです。
現在10代後半から20代半ばのZ世代の特徴は、「将来」を重視しており現実的で実利的、禁欲的でもあって「We世代」とも呼ばれています。健康/環境/社会に配慮する姿勢も強く、スウェーデンのグレタ・トゥンベリさんなどはその代表例でしょう。彼らにとってデジタルやテクノロジーはあって当たり前の世界、SNSなどもミレニアル世代は文字と画像が中心でしたが、Z世代では動画やライブストリーミング、最近ではTikTokなどのショートムービーなどが中心になっています。
3.若者の刑法犯が激減している! ~史上初、世界的に認識される世代
ところで、最近の犯罪白書から非常に興味深いデータを採ることができます。
それは若者(20歳未満)の刑法犯が近年、急激に減少しているということです。例えば1989年(平成元年)の刑法犯は312,992人、そのうち20歳未満の若者が占める割合は実に53%と半数以上若者でした(165,686人)。尾崎豊が「盗んだバイクで走り出す」と歌ったのは1983年、題名は『15の夜』でしたが、実際にその頃は「犯罪=未成年」という構図があったのが実情です。
一方、この割合は2000年近辺から急激に下がり始め、足元の2019年(令和元年)には11%にまで減少します(刑法犯総数は192,607人、20歳未満は20,410人)。これは人口減少や少子化といった変化だけでは説明できない減少率であり、同時に65歳以上の高齢者の割合が増えている(令和元年で22%)ことも指摘されます。(出典:法務省「犯罪白書」)
興味深いことは、この変化は世界的な現象だということです。例えば米国でも同じデータの変遷が見られており、世界的に「若者は犯罪を起こさなくなっている」のです。
これには色々な仮説が与えられるところですが、一つ大きな影響があるのが、まさに2000年以降はミレニアル世代が15歳以上になってくるタイミングであり、またインターネットの普及やグローバル化が進んできたという事実です。
要するに、「さとり世代」や「氷河期世代」といった国内のマーケティング用語に過ぎない「世代」と異なり、ミレニアル世代以降の世代は歴史上はじめてグローバル共通の世代となっており、大きな価値観や行動様式の共通化が世界中で進行しているということです。
実際のところ、今の若い世代は、インターネットを通じてそれまでの世代よりも圧倒的に大量の情報に触れており、知識量が多いのです。しかもその知識は「この町」の話に閉じているのではなく、即グローバルであり世界につながっています。だれでもSNSで世界とつながり最先端の情報がとれる時代、自然と俯瞰した視点をもって自分たちを見つめることができている、それがミレニアル世代以降の顕著な特徴ではないでしょうか(それが犯罪率の低下にも表れていると考えます)。
4.新しい幸福のカタチ ~GDP至上主義を超えて
近年、米国の若者の中で社会主義が広がっていると言われます。ベンチャー企業などを起こしてアメリカンドリームを実現させるのはごく一握りで、実際は奨学金の返済もままならずに生活に困窮する若者が後をたちません。中国においても「寝そべり族」(躺平主義)と呼ばれる、競争社会で生きることを諦めた若者が増加しています。彼らは今の格差社会に抵抗し、「家を買わない」「車を買わない」「結婚しない」「子どもを作らない」「消費しない」「頑張らない」という六つの「しない」を決め、「誰にも迷惑をかけない、最低限の生活をする」ことをめざしています。
日本においては実際、そこまで格差社会が表面化していませんから社会運動として顕在化していることはありませんが、それでも世代間の価値観の違いは感じるところがあるでしょう。実際、日本でもっとも給与水準が高い企業はキーエンス(平均年収2000万円超)と言われますが、だからといってキーエンスへの応募が殺到するわけではありません。バブル期にはありえない低金利で住宅ローンが借りられる現状であっても、住宅購入が激増するわけではありません。実際、楽しい生活というだけであれば、地方で多少の通信費を払い、ネットフリックスやアマゾンプライムを見て生活することはできるわけで、そこまでのコストがかかるわけではないのです。
ではそれがダメか、若者が低欲望化しており経済に不利益なのか、といわれると一概にそうとも言えません。金銭的な価値よりも精神的な満足を重視することはある意味当然ですし、個人の自由でもあります。今のGDPを基準にした経済成長を考える思考自体も20世紀半ばに、当時入手可能な統計データを基に編み出された手法であり、今の時代にとっては時代遅れかもしれないのです。
世界全体に目を向けたとき、全体最適を踏まえた行動様式となり、個々人の経済的利益だけを追い求める姿勢にならないというのは自然な発想でもあります。繰り返しではありますが、今の若い世代は常に世界とつながっており、グローバルな情報に接しているのです。自然とSDGs的な発想を備え、連帯することも当然の世代です。その意味で、生まれつき、それまでの世代よりも遥かに視座高く物事を捉えているとも言えるのです。
5.さいごに
今回は改めてミレニアル世代、Z世代について、デジタルを通じたグローバルとの接点という切り口から見てきました。 ある意味で、彼らは今までの大人たちが見てこなかった世界を見ており、それまでの世代が親や世間に反発していたところを、より広い世界や価値観に反発しているのかもしれません。
長い目で見ていくと昭和より平成、平成より令和と世の中は確実に良くなっていることも事実です。昭和の暴力や封建的な社会を想像すれば、単なるノスタルジーに浸るわけにもいきません。そのように考えていくと、社内の若手の見え方も変わってくるのではないでしょうか。