モチベーション向上に効くのはアメかムチか
イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムは、「自然は人類を2人の君主、つまり苦痛と快楽の支配下においてきた」という言葉を残しています。たしかに、人材のモチベーションを高めようとする際は、報奨の快楽を約束するか、罰則の苦痛を警告するものです。しかし、そのアメとムチは、どのような場面でどちらがより効果的だといえるのでしょうか。
アメとムチがスタッフの行動に与えた影響
この疑問に関するひとつの事例をご紹介しましょう。米国ニューヨーク州のある病院では、院内感染を防ぐ目的で、医療スタッフに患者の病室に入る前後の手洗いを義務づけていますが、なかなか徹底されません。病院は当初、院内に手洗いをしないことによる危険性を訴えたポスターを貼り、監視カメラでの記録まで実施しましたが、効果は上がらず手洗い実施率はたった10%にとどまっていました。
ところが、ある方法によって劇的な効果が見られます。それは、スタッフが手洗いを行うたびに、廊下に設置した電子掲示板に「よくできました!」「ありがとう」などのポジティブなメッセージを流すようにしたのです。さらに、シフトメンバーの手洗い実施率の点数も表示するようにもしました。これで手洗い実施率は劇的に改善し、4週間で90%にまで達したのです。
モチベーションの脳神経学的仕組み
脳神経学分野の研究成果によると、一般的に何らかの行動を促す場合は罰則ではなく報奨が、逆に何らかの行動を抑止しようとする場合は報奨ではなく罰則がより効果的であるとされています。そもそも、我々の脳は報奨を得るために行動を起こすよう進化してきたといわれているのです。
いい結果を得ようとすると、脳内ではドーパミンという「ゴーサイン」が放出され、大脳運動野を通じて特定の行動を促します。反対に、悪い結果が予測されるときは、脳が「ストップサイン」を出します。特にストップサインの場合は、特定の行動だけでなくあらゆる行動にストップをかけて、フリーズさせてしまうケースがあるそうです。
この脳の仕組みは、前述した病院の医療スタッフが、院内感染の脅威よりもポジティブなメッセージに反応した理由のひとつであると説明できるでしょう。アメとムチは、このように使い分けるのが合理的であるようです。
モチベーションアップのカギは仕事の「魅力」と「実現可能性」
社会起業家やイノベーションが盛んな企業のように、生き生きと働く人や人材のモチベーションレベルが恒常的に高い組織には、ある特徴があります。それは、世界に変化をもたらすことに関わっているという自覚が、その人や社員に備わっている点です。かつて生産性と品質低下に悩まされていたダイムラー・ベンツの南アフリカ工場が、あっという間に不良品ゼロを達成したきっかけは、当時釈放されたばかりのネルソン・マンデラ大統領のための車を造ってほしいという注文が舞い込んできたことでした。誇り高い仕事にマンネリズムが吹き飛び、社員の士気が燃え上がったのです。
ビクター・H・ブルームが提唱し、レイマン・ポーターとエドワード・ローラー三世が進化させたモチベーション理論に「期待理論」があります。モチベーションは、その仕事の「魅力」と「実現可能性」の積(モチベーション=魅力×実現可能性)で表すことができるというものです。つまり、モチベーションをアップさせるためには、「魅力」と「実現可能性」の両方が高いか、あるいは一方が低めでも、もう一方と掛け合わせることでトータル(積)が高くなることが条件となります。マンデラ大統領の車の例は前者のパターンで、先にご紹介したニューヨーク州の病院の例は後者のパターンに該当するといえます。
従業員のモチベーション向上を図るためには、仕事の「魅力」や「実現可能性」を見極めつつ、「アメ」と「ムチ」を上手に使い分けることが有効だといえるでしょう。